畳を扱う者として長く和室に向き合ってきた私は、
外から差し込む光と、室内に残るほのかな暗さがつくり出す畳の陰翳に、和室の本当の良さ、そしてその赴きを感じています。
明るければ良い、白ければきれい。
そんな価値観が当たり前になった今だからこそ、
光を少し抑えた和室に入った瞬間、ふっと気持ちがゆるむことがあります。
障子が外の光をやわらかく受け止め、
畳がその光を静かに広げる。
はっきりとは主張しないのに、空間全体が落ち着いて感じられるのは、
この「明るさと暗さのあいだ」に理由があるのだと思うのです。
このブログでお伝えしたいのは、和室の心地よさです。
けれどそれは、「ここがいいでしょう?」と強く勧めるようなものではありません。
和室は、良さを前に押し出しません。
便利さも、豪華さも、分かりやすくは語らない。
ただ、そこに身を置いた人の気持ちが、いつの間にか落ち着いている。
それが和室なのだと思っています。
外からの光は、障子を通してやわらかくなり、
畳の上に静かに落ちます。
明るさは十分なのに、まぶしくはない。
すべてがはっきり見えるわけではないけれど、不安になるほど暗くもない。
その“ちょうどよさ”が、心に余白をつくってくれます。
私は畳屋として、数えきれないほどの和室を見てきました。
新しい畳が入った部屋も、長く使われた畳の部屋も。
どちらにも共通しているのは、
畳が主役になろうとしていない、ということです。
畳は光を反射せず、音も立てず、
そこに暮らす人の時間を、そっと受け止めています。
だからこそ、畳の色が少しずつ変わっていくことも、
私は「悪いこと」だとは思っていません。
青みのある新しい畳が、やがて落ち着いた黄金色に変わっていく。
その色合いは空間を引き立てる役割を果たします。
目立たず、控えめで、けれど確かにそこにある。
そんな存在があるから、和室は心地よいのだと思うのです。
作家の谷崎潤一郎さんは、
日本の美しさを「陰翳」の中に見いだしました。
光を当てすぎず、すべてを見せきらないことで生まれる深み。
和室もまた、その考え方の延長線上にある空間です。
何かをしなくてもいい。
ただ座って、少し静かな時間を過ごす。
和室は、そんな過ごし方を自然に受け入れてくれます。
朝の光のやわらぎ、夕暮れになれば同じ色が深く沈む様子。移ろいの中にあるからこそ趣がある。
まずは、和室に入って、差し込む光の入る様子、その光が映す畳の陰翳を眺めてみる。
その時間そのものが、和室の心地よさなのだと思います。

